人はいつから歯みがきを始めたのか

誰もが毎日、歯をみがく。この習慣がつくられたのはこの100年のことにすぎません。では、それ以前の人々は歯とどうつきあってきたのでしょう。エピソードでつづる口腔保健前史。

⑤弟子の口臭にたじろいだ釈迦の「歯木のすすめ」

悟りをひらいた釈迦がはじめて説法を行ったといわれるサールナート(鹿野苑)。現在は遺跡公園になっている。
悟りをひらいた釈迦がはじめて説法を行ったといわれるサールナート(鹿野苑)。
現在は遺跡公園になっている。

歯の清潔は健康の元

古代インドで使われていたサンスクリット語(梵語)に「ダンタカーシュタ」という単語があります。「ダンタ」は歯、「カーシュタ」は木を意味するので、直訳すると「歯木(しぼく)」となります。
これは、細い棒の先端をかんで繊維を房状して、歯と舌を掃除する、歯ブラシの原形のような道具です。
歯木は仏教と深い関わりがありました。
紀元前5世紀、仏教の開祖となった釈迦(ブッダ)のまわりには多くの僧が集まり、教団が生まれました。釈迦自身が弟子たちに説いた言葉をまとめた仏典を「律蔵」といいますが、そこには、歯木についての教えがいくつもあるのです。最初はこんな記述。
「その時、僧たちは歯木をかまず、口が臭かったので、世尊(釈迦)は、歯木をかむことの5つの利益を説いた」
もし、何日も手入れをしなかったら、口の臭いはどうなることか? 想像するとおそろしいですね。そんな弟子が多くて、その口臭に釈迦もたじろいだのかもしれません。そこで、歯木を使えば、①口臭がなくなる、②食べ物の味がよくなる、③口の中の熱をとる、④痰をとる、⑤眼がよくなる、と良い点をあげ、歯の手入れをすすめたのでした。

長くても短くてもいけない理由

歯木は、長くても短くてもいけません。ある僧が、長い歯木で少年僧を打っているのを見た釈迦は、歯木の長さは指八本分までと決めました。また、ある僧が短い歯木を誤って飲み込んで喉を突いたことから、短くても指四本分以上の長さにするようにと指示したのです。歯木をかむのは早朝。歯木を使う前には、手をきれいに洗うことや、使い終わった歯木は洗ってから捨てることも大切でした。
ところで、古代インドの伝統医学「アーユルベーダ」では、歯と舌の汚れを取り除き、口の中を清潔にすることは健康維持のひとつの方法だと考えられていました。そして、ニームという常緑樹を歯木に使っていたようです。ニームの苦い樹液には殺菌作用や消炎作用があり、今でも歯木の素材として使われています。釈迦もニームの歯木を用いていたかもしれません。

⑥楊枝で煩悩をかみ砕く 仏教経典の教え

楊柳観音の図。敦煌・楡林窟(ゆりんくつ)25 窟に描かれた壁画の複写。左手に水瓶を、右手に楊の枝を持っている。(広栄社・つまようじ資料室所蔵)
楊柳観音の図。敦煌・楡林窟(ゆりんくつ)25 窟に描かれた壁画の複写。左手に水瓶を、右手に楊の枝を持っている。(広栄社・つまようじ資料室所蔵)
敦煌(とんこう)遺跡。シルクロードにあって、仏教伝来の入り口にもなっていた。
敦煌(とんこう)遺跡。シルクロードにあって、仏教伝来の入り口にもなっていた。

歯木から楊枝へ

仏教の教えとともに、歯木の戒律も中国に伝わりました。その過程でサンスクリット語の「ダンタカーシュタ(歯木)」は、「楊枝」と漢訳されるようになります。
理由は、素材に関係しています。「楊」とはヤナギのこと。中国には、インドで歯木によく使われているニームの木はありません。一方、ヤナギは豊富です。シルクロード沿いにも自生しているし、唐の都・長安にはヤナギの街路樹がありました。それにヤナギは霊力が宿ると古来より考えられていました。また、隋や唐の記録には「歯痛を鎮めるために、ヤナギの皮をかんでその汁を歯になすりつける」とあり、ヤナギを用いることが、ごく自然の流れだったのでしょう。
ところで、楊枝というと、先が尖った爪楊枝が思い浮かびますが、もともとは両端を切りそろえた小枝、もしくは片方の先端を分けて裂いたものでした。

楊枝を手に願うこと

4~7世紀には、法顕(ほっけん)、玄奘(げんじょう)、義浄(ぎじょう)といった僧が西域を旅し、楊枝と釈迦にまつわる話も中国に伝えています。例えば、『西遊記』のモデルとなった玄奘三蔵の見聞録『大唐西域記』に見られるのは、楊枝植生の逸話です。これは、釈迦が使い終えた楊枝を捨てたところ、その楊枝から根が生え、たちまち大樹となったというもの。外道(道に外れた者)がその樹を抜き捨てても、すぐに元のように生えてくるというのです。
さて、そうした僧たちが、漢訳に尽くした『華厳経』の「浄行品」(じょうぎょうぼん)(八十華厳経・第十一)には、次のような内容があります。
「楊枝を手に持てば、まさに願うべし。すべての生けるものが、心に正しい秩序を得て、自然に清らかになるように」
経典はさらに続きます。
「明け方に楊枝をかめば、まさに願うべし。すべての生けるものが、自己規制の能力を備え、もろもろの煩悩をすべてかみ砕いてしまうことを」
楊枝を手にして願うことは壮大です。
楊枝(歯木)は、宗教的な意味合いを深め、強調されるようになりました。