歯みがき習慣がつくられた100年

歯みがき習慣が根付くまでには歯科医師、行政、企業の力を結集した粘り強い取り組みがありました。「むし歯撲滅」から「健康寿命の延伸」へ。目標も時代とともに変化しています。その歩みをたどってみましょう。

⑤122年前に登場したライオン歯みがき第1号

獅子印ライオン歯磨第1号のパッケージ
獅子印ライオン歯磨第1号のパッケージ

歯みがき剤は進化する

現代では、ドラッグストアの陳列棚に、さまざまな歯みがき剤が所狭しと並んでいます。かつては主流だった粉末や潤製(半練)製品、金属チューブは姿をひそめ、ほとんどが使い勝手のよいラミネートチューブ入りの練り歯みがきです。中身も多様、香りや味など使用感が違うだけではなく、製品ごとに異なる薬効成分が含まれているので、自分に合った歯みがき剤を選べます。
でも、その始まりはどうだったでしょう? 時代が江戸から明治へと変わった頃は、「○○散」などと呼ばれる古来の製法による歯みがき剤が売られていました。やがて西洋式歯みがき剤の製法が伝わり、メーカー各社は研究開発に努力、新時代にふさわしい歯みがき剤を世に送り出していったのです。

それは獅子印ライオン歯磨から始まった

今から122年前の1896(明治29)年に、「獅子印ライオン歯磨」が発売されました。歯みがき粉としては後発だったのですが、小林商店(現ライオン)の小林富治郎は、使命感をもって製造販売を始めました。「歯みがき粉」という商品を売ることで「歯をみがく」という生活習慣、衛生思想を広めることに力を入れたのです。
「この歯みがきを使えば歯臭を治し、むし歯を予防すること妙なり」と書かれた新聞広告をはじめ、広く人々に知らしめるために、今でいうマーケティングの手法を実践しました。それがそのまま、口腔衛生思想の普及活動になっていったのです。  たとえば、ライオンは1915(大正4)年に商品カタログを発行しています。現存するカタログとしては最も古いもので、中を見ると、海外でも使用できるように、日本語、中国語、英語の3カ国語で書かれています。そこに載っている「獅子印ライオン歯磨」は、中国語で「獅子牙粉」、英語では“LION BRAND DENTIFRICES”。
ライオンが描かれたパッケージは、今見てもなかなかオシャレで、力を入れて作られた製品であることがわかります。

⑥歯ブラシの基本になった「萬歳歯刷子」

歯ブラシの基本型になった萬歳歯刷子
歯ブラシの基本型になった萬歳歯刷子

はじめての「歯刷子(ハブラシ)」

「歯刷子」と書いて「ハブラシ」と読みます。日本で初めて商品名に使われた時、時代はもう大正に入っていました。
それまで、歯ブラシの研究は進んでいなかったのですが、東京歯科医学専門学校(現・東京歯科大学)に「歯刷子研究会」がつくられ、小林商店(現ライオン)は、同校の指導のもとに歯ブラシの製造に着手します。
そして、「萬歳歯刷子」を発売したのが1914(大正3)年のこと。この歯ブラシには、次のような特徴がありました。
①弾力性が高く、切れにくい中国重慶産の豚毛を主に使用 ②柄には強靭で熱湯消毒にも耐える牛骨を使用、使いやすいよう外側に湾曲させている ③硬い毛を使い、毛の束は歯の列に一致させて清掃能率を高めている
その翌々年には使用者別に3つのサイズを揃え、1927(昭和2)年には「ライオン歯刷子」と改名。以来、このライオン型が歯ブラシの基本となりました。

歯ブラシは高級品?

ライオン型のヘッドの特徴は、植毛部分の先が高く真ん中がへこんでいること。柄は牛の脛骨でできています。ただし、脛骨1本につき柄1本しか取れないため、とても高価なものでした。その後、戦争下で牛骨が不足し、1939(昭和14)年には耐熱性合成樹脂製を使用。2年後にはセルロイドが使われました。やがて太平洋戦争が始まると、セルロイドさえ使えなくなって、竹や木で代用した歯ブラシが出回ることになったのです。
戦後は素材の研究開発が進み、動物毛の代わりにナイロンが使われるようになりました。「ライオン歯刷子・ナイロン1号」の発売は1959(昭和34)年。当時かけそばが1杯30~40円のとき1本100円でしたから、ずいぶん高いものだったのですね。