こうして歯みがきは身近になった

人々の口腔衛生意識を高め、歯みがきの習慣化を促すうえで大きな役割を果たしたのは企業が展開した宣伝、広報活動です。その活動は、強い使命感と企業文化に裏づけられたものでした。

⑪歯みがき習慣には欠かせない!洗面所の普及に務めたライオン

『洗面所設計図撰集』に載った応募作品から
『洗面所設計図撰集』に載った応募作品から

『洗面所設計図撰集』に載った応募作品から

学校や公共施設に洗面所を寄贈

今の住宅には、必ず洗面所があります。そこには歯ブラシと歯みがき剤が置いてあって、いつでも歯をみがくことができます。でも戦前の日本の家は、洗面所がないのが普通でした。井戸端や台所に洗面器を持ち出して、顔を洗ったり歯をみがいたりしていたのです。
ライオンの前身である小林商店は、創業当時から歯みがき習慣の大切さを訴えてきましたが、それを定着させるためには、家の中に心置きなく使える場所をつくる必要があると考えました。そして、1919(大正8)年、ライオン講演会の機関誌『ライオン・コスモス』に、清水歯科医学士による一般家庭向けの「理想の洗面所の設備」を紹介しました。それには、洗面台の上に、歯みがき剤や歯ブラシを置く台があり、タオルかけや鏡もついていました。
さらに小林商店は、このころから全国各地の小学校や公共施設に洗面所を寄贈する活動も始めました。「歯みがき習慣をつけるために、まず環境を整えよう」というこの意欲的な試みは、昭和30年代まで続きました。

洗面所の設計図を懸賞募集

1931(昭和6)年、もっと大々的に洗面所を一般家庭にも普及させようと、「洗面所の設計図」を懸賞募集しました。設計図を考えるにあたっては、ある程度の広さを持つこと、採光・通風がよいこと、水栓があること、歯みがきや歯ブラシの置き場所があることなど、さまざまな条件がありましたが、プロ、アマを問わず数多くの応募がありました。その成果を残そうと、優秀な作品の中から「国民生活の実際に合ったもの」を60点選び、『洗面所設計図撰集』にまとめました。これには、今でも十分通用するプランが数多く載っています。
一歯みがきメーカーだった小林商店は、歯みがき習慣を大きな視野でとらえ、その普及に力を注いでいたのです。

⑫夜の歯みがきを習慣づけた「ねる前の三分間物語」

「ねる前の三分間物語」応募作品の中から優れた作品を集めた小冊子
「ねる前の三分間物語」
応募作品の中から優れた作品を集めた小冊子

物語で子どもたちに夜の歯みがき習慣を

夜寝る前には必ず歯をみがく。今では、当たり前の生活習慣になっています。でも、昔はそうではありませんでした。100年近く前、大正時代末期の「児童の口腔衛生状況調査」によれば、歯みがきの回数は「朝1回」が47.3%、「夜1回」が1.8%、「朝晩」が7.2%。朝の歯みがき習慣はある程度浸透していたものの、寝る前に歯をみがく習慣はなかったことがわかります。
では夜の歯みがき習慣はどのようにつくられたのか。行政や歯科医師会、学校などの取り組みが大きな役割を果たしたことはいうまでもありませんが、ライオンの前身、小林商店もまた、一企業の立場から「寝る前の歯みがき」を奨励し続けました。
大正時代は新聞広告で夜の歯みがき習慣の大切さを訴え、1928(昭和3)年は、「ねる前の三分間物語」を懸賞募集しました。これは子どもに歯の大切さやむし歯の怖さ、夜の歯みがきの大切さを話して聞かせる物語を募ったもので、5000を超す応募がありました。その中のすぐれた作品は、小冊子にまとめられました。

寝る前に歯をみがいた人を表彰

こうした取り組みは、より大きな運動になっていきます。
1937(昭和12)年、小林商店は「寝る前の歯磨50万人大運動-口腔衛生実行者50万人表彰」というキャンペーンを実施しました。これは、6月4日の全国むし歯予防デー10周年に協賛したもので、当日のラジオの時報(午後9時30分)を合図に「寝る前の歯みがき」を実行した人50万人を表彰するというものでした。
キャンペーン実施の発表と同時に、新聞広告や販売店に「ラジオの時報を合図に歯をみがきましょう」という標語が掲げられました。その結果、約64万人が「寝る前に歯をみがいた」と自己申告し、表彰を受けたのです。この運動は年々規模が大きくなり、「寝る前の歯磨1000万人大運動」として展開していきました。
大正期から始まった息の長い活動は、「寝る前に歯をみがく」という生活習慣を浸透させるのにひと役買ったことは間違いありません。