歯みがき習慣がつくられた100年

歯みがき習慣が根付くまでには歯科医師、行政、企業の力を結集した粘り強い取り組みがありました。「むし歯撲滅」から「健康寿命の延伸」へ。目標も時代とともに変化しています。その歩みをたどってみましょう。

⑦90年に迫る歴史 昭和3年6月4日は最初の「むし歯予防デー」

標語が書かれた平成30年度「歯と口の健康週間」のポスター
標語が書かれた平成30年度「歯と口の健康週間」のポスター

継続は力なり。今日まで続く活動

6月4日の「むし歯予防デー」はいつから始まったのか、ご存じですか? 今から90年前の1928(昭和3)年、「6(む)4(し)」にちなんで、日本歯科医師会が実施したのが始まりです。
日本歯科医師会が誕生したのは1926(大正15)年のこと。各都道府県の歯科医師会が認可され、全国組織の公法人として国の健康保険制度を担うようになって、その社会的使命のもと、口腔保健活動にいっそう力を入れるようになりました。「むし歯予防デー」は、その取り組みの第一弾です。
まず、全国の小中学校をはじめ、陸海軍、警察署、刑務所、市役所、健康保険組合などにポスターやパンフレットを無料配布しました。また、各地で歯科検診や講演会、歯の衛生博覧会、ラジオ放送での啓発活動などが行われました。民間企業の小林商店(現ライオン)も、「むし歯予防デー」に協賛し、積極的な活動を展開していきます。
「むし歯予防デー」はその後、「護歯日」「健民ムシ歯予防運動」などと呼び名が変わったり、戦争で中断されたりしましたが、1949(昭和24)年に復活。現在は、6月4日から10日までの1週間を「歯と口の健康週間」として、さまざまなキャンペーンが行われています。

毎年選ばれる統一標語

「むし歯予防デー」には、開始3年目から毎年全国統一の標語がつくられました。いくつか例を上げて見ましょう。
「六歳臼歯を大切に」1930(昭和5)年
「よい歯でよく噛みましょう」 1931(昭和6)年
「強い歯を守れ」 1932(昭和7)年
「歯は健康の第一線」 1933(昭和8)年
「つとめて受けよう歯の検査」 1937(昭和12)年
今でも十分に通用する標語が多いなか、「御国を守れ歯を守れ」(1934(昭和9)年)など、いかにも時世を感じさせるものもあります。
今年の標語は、「のばそうよ 健康寿命 歯みがきで」。現在の口腔保健の一番大事な課題を、ズバリ表したものになりました。

⑧戦時下の後楽園スタジアムが満杯に 現在まで続く「歯みがき大会」

戦時下にもかかわらず実施された第9回学童歯磨教練体育大会
戦時下にもかかわらず実施された第9回学童歯磨教練体育大会

歯みがき大会始まる

2万5000人もの児童が集まり、その1人1人が手に歯ブラシを持ち、号令に合わせていっせいに歯みがきをする場面を想像してみてください。なんだか華麗なマスゲームのようで、迫力満点ですね。
実はこれ、1932(昭和7)年に実際に行われた「第1回学童歯磨教練体育大会」の場面なのです。小林商店(現ライオン)が「むし歯予防デー」の趣旨を広く伝えようと実施した協賛イベントで、東京の日比谷公園と大阪の天王寺公園で同時開催されました。
この大会は大成功。その後毎年行われ、戦時下にあっても多くの人々の努力で実施され続けました。1940(昭和15)年の第9回大会は、小林商店の創業50周年にあたり、記念行事として東京をはじめ名古屋市、静岡市、金沢市、桑名市の各地で開催されるという大規模なものとなりました。やがて戦争で一時中断されるまでに、歯みがき大会は15回を数えました。

歯みがき大会の復活と進化

戦後8年を経て、歯みがき大会は復活しました。東京大会は「むし歯予防デー」に合わせて行われ、代々木の外苑競技場に1万2000人の児童、スタンドには約2万人の見学児童、合わせて数万人がいっせいに歯みがきをするという大迫力の光景が蘇りました。
大会は年々盛大になっていきます。文化放送がラジオで生中継をしたり(1954・昭和29年)、フルカラーのシネマスコープで撮影したPR映画をつくったり(1956・昭和31年)。そして東京オリンピックの翌年には、国立競技場に児童約7万5000人が参加する口腔保健活動史上最大の規模の大会へと進化しました。
ライオンは、2009(平成21)年から大会のインターネット同時配信をスタートしました。国内でも海外でも、子どもたちがスクリーンの前に集って「歯と口の健康を楽しく学べる」時間は、関係者から大いに喜ばれています。今では大会名を「全国小学生歯みがき大会」として、歯みがきの大切さだけでなく、継続することの大切さを伝えています。