人はいつから歯みがきを始めたのか

誰もが毎日、歯をみがく。この習慣がつくられたのはこの100年のことにすぎません。では、それ以前の人々は歯とどうつきあってきたのでしょう。エピソードでつづる口腔保健前史。

⑨見た目は悪いが効果あり?「お歯黒」にはむし歯予防の効果も

房楊枝を使う女。お歯黒をしている歯がのぞいている。香蝶楼国貞画「江戸姿八契」(国立国会図書館所蔵)
房楊枝を使う女。
お歯黒をしている歯がのぞいている。
香蝶楼国貞画「江戸姿八契」
(国立国会図書館所蔵)

結婚したら歯を黒く

「唇を開いたら、真っ黒な歯が並んでいる!」
幕末、黒船を率いて日本に来たペリーは、女性が笑うのを見て、ギョッとしたといいます。そして、お歯黒が既婚女性の風習だと分かると、「夫婦の幸せには役に立たないはずだ」と皮肉っています。失礼な発言! 当時の人びとはそれを美しいと感じていたのに……。でも、今の私たちでも、「なぜ、わざわざ?」とふしぎに思う風習です。
日本には、歯を黒く染める風習が古くからありました。始まりはよくわかってはいません。平安時代の宮中では、男女を問わず、成人になると歯を染めました。都きってのイケメン在原業平も、陰陽師の安倍晴明も、紫式部や小野小町も、にっこり笑うと漆黒の歯が見えたことでしょう。今も口の中が黒いひな人形があったり、能面があるのはその名残です。その後、お歯黒をする武士も現れましたが、江戸時代には既婚女性や遊女などの化粧として定着しました。

お歯黒の意外な効用

ツルツルしたエナメル質の歯を黒く塗るのは、簡単なことではありません。初めは草木や果実染め的なものだったのですが、やがて、鉄を材料とした「鉄漿水(かねみず)」を使うようになりました。これは、鉄の溶液を発酵させた染料で、ひどい悪臭を放ったといいます。歯を染めるには、この鉄漿水と、ヌルデの葉の虫こぶからつくった五倍子粉を交互に、お歯黒筆で歯に塗りつけなければなりません。さぞや面倒なことだったでしょう。江戸時代に、水に溶くだけで歯に塗れる「香登(かがと)のお歯黒」が発売されると、大人気になったのも、当然です。
さて、化粧として行われたお歯黒ですが、お歯黒をしている人はむし歯が少ないとわかりました。理由は、お歯黒の前に、楊枝で歯垢などをていねいに取り除いていたから。さらに、五倍子粉に含まれているタンニンには歯と歯ぐきのたんぱく質を強化する働きがあり、また鉄漿水の鉄分が歯のリン酸カルシウムを強化して歯を丈夫にするようです。人びとは知らないうちに、むし歯予防をしていたのです。

⑩「楊枝屋」が社交場に 粋な江戸っ子が愛した歯の掃除法

房楊枝。片方が尖り、もう一方が筆のように房状になっている
房楊枝。片方が尖り、
もう一方が筆のように房状になっている

砂糖の国内生産でむし歯増大?

骨考古学者の片山一道博士によると、日本人の下あごの骨は弥生時代以降、小さく弱くなり続けているそうです。歯も次第に小さくなりましたが、あごの小型化に追いつけず、中世の日本人の歯並びの悪さは、世界でもトップクラスになってしまいました。
江戸時代の人骨には、むし歯、歯周病、歯髄炎などを患ったあとが多く見られます。中でも、むし歯の増加は、江戸時代に一段とスピードアップ。原因は、おそらく「砂糖」でしょう。江戸中期には、砂糖の国内生産が盛んになったおかげで、高嶺の花だった甘い菓子を庶民も楽しめるようになり、そして、むし歯も増えることになりました。

楊枝を使う美人画も登場

江戸時代には人々の歯に対する意識も少し変化していきます。たとえば、この一句。
「親のすね かじる息子の 歯の白さ」
これは、働かずに、身ぎれいにして遊んでいる若い男を皮肉った川柳ですが、この頃には、白い歯かどうかが、粋か野暮かを見分ける印にもなっていたのです。
江戸吉原の遊郭では、朝帰りする客に楊枝と歯みがき袋、うがい茶碗を出していました。布団の上で洗顔と歯みがきをスマートに行うことが、粋な遊び人とされていたのだとか。また、江戸時代の浮世絵師は、房楊枝を使う美人画をよく描きました。人々は、房楊枝を使う姿に、粋や色気を感じていたのでしょう。
房楊枝が庶民に広まり、全国に楊枝屋ができるようになっていきます。江戸では、浅草観音に詣でた三代将軍家光が楊枝屋に足を運んだという話が広まり、浅草寺境内に楊枝屋が軒を連ねました。江戸末期には約250軒に増えるほどの繁盛ぶり。
京都では粟田口のさるやが有名で、江戸の日本橋にも1740年にさるやができました。ちなみに、日本橋さるやは現在も楊枝専門店として営業を続けています。
こうした店は、それぞれに看板娘を置いて売り上げを競いました。浅草の「柳屋お藤」は有名な看板娘。「用事(楊枝)がないのに 用事をつくり 今日も朝から二度三度」とうたわれるほどの人気で、多くの江戸っ子が、お藤目当てに店先に集まりました。
江戸の楊枝屋は、華やかな社交場でもありました。